私の英語学習歴を時系列でまとめてみたいと思います。2001年から学習を開始し、2013年にオンライン英会話講師になるまでの足跡です。少々長くなりますが、良かったらお付き合いください。
EnglishNotebook



英語を始めたきっかけ (2001年)

きっかけは冗談でした。

私の兄が学生時代、英語には本当に苦労していました。 ある日、宿題でどうしても解けない問題があると言う兄。見せてもらったところ、意外とあっさり解けてしまいました。

その時、「兄貴に解けない問題を解いて思いきり馬鹿にしてやろう!」と思いました(性悪) 

そこで始めたのがNHKラジオ英会話の「基礎英語2」。当時は1回15分、週に3回の放送だったので、負荷が少なく比較的自然と習慣に。MD(ミニディスク)に録音し、1回の放送を2回聴きました。

さらにこの年(2001)の10月、基礎英語2の放送でBackstreet Boysの"Shape Of My Heart"という曲を初めて聞き、改めて英語に魅力を感じ、勉強を本格的に始めるようになりました。

私にとって「英語が出来る」=「英語をペラペラに話せる」ということだったので、発音・イントネーションを中心に話す練習は特に力を入れました。体調が悪くて座っていられないときでも、必ず音読。

当時は英語で話す環境も、その必要もなく、日本人以外の人と話す機会は月に1回か2回、高校にやってくるALTと話すのみでした。

話す練習のため、NOVAやECCなどの英会話学校に行くことも当然、何度も考えました。しかし、当時すでに持病(筋痛性脳脊髄炎ME/CFS)があり、体力的に通うことが不可能だったため、残念ながら家で独学する以外の選択肢はありませんでした

■失敗談

・実は最初に英語の勉強を始めたのは高校入学時(2000年4月)でした。何か新しいことを始めたかったのがその理由。「大は小を兼ねる」と思い、NHKラジオ講座の「ビジネス英会話」を始めました。

しかし中学英語もまともに学んだことのなかった私には当然難しすぎ、2か月ほど聴いて挫折。それから「ラジオ英会話」にレベルを落とすもこれまた難しすぎ、7月ごろには止めてしまいました。

やはり自分のレベルに合った教材が一番だとこの経験から学びました

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英検 & TOEIC (2002年~)

TOEICEikenTextbooks
勉強を続けるうちに自分の英語力を知りたくなるのは当然の流れで、私の最初の目標は英検4級。

初受験は2002年10月、17歳の時でした。それから半年後の2003年6月に英検3級を受験、初の2次試験に挑戦しました。当時英語で話す機会の全くなかった私にとって、面接試験は英語を使える貴重な機会で、とにかく楽しかったことを覚えています

それから、2003~04年は通っていた定時制高校の単位を補うために高卒認定試験(当時は大学入学資格検定)を受験。

2005年は高校に入学し直すため、編入試験を受験(出席日数不足のため在籍年数上限の6年で高校を卒業できなかったためです)。その間、英語の学習はラジオ講座を続けるだけの状態でした

最初の壁
2006年11月、21歳の時に英検準2級に合格。それを機に、英語の勉強をこのまま続けるか、他の道を探すべきかかなり悩みました

当時は海外旅行や友達との会話が目的なら十分なレベル。しかしプロとして働くにはあまりにも英語力がなかったためです。しかも5年ほど勉強してきて、プロになるまでの道のりがどれだけ大変かも感覚的に分かってしまったため、勉強を続けるやる気を失ってしまいました。

そんなある日、学校帰りに駅で電車を待っていると、同じところを何度も行ったり来たりしている外国人を発見。どうやら電車の乗り場が分からない様子。

声をかけたら確実に電車に乗り遅れます(ちなみに次の電車は40分後。茨城の田舎では電車は多くても1時間に4本しか来ません)。

そのためかなり迷いましたが、勇気を出して英語で声をかけてみました。

やはり乗り場が分からなかったようです。ただ私もその列車は利用したことがなかったので、駅員さんに日本語で質問し、英語で彼に駅員さんの言ったことを伝えました。緊張していたこともあり、めちゃくちゃな英語でしたが、乗り場を伝えた時の彼の笑顔は今でも鮮明に覚えています。 

この時「人と人を繋げる英語って凄い!絶対に英語に関わる仕事がしたい!」と思い、迷いは消えました。その日から、ただ楽しいから勉強するのではなく、プロとして実戦で使える英語を身に付けることが目標になりました。

そして2007年7月に英検2級に合格。

英検準2級と2級の二次試験は高校の恩師に電話で模擬面接を実施してもらいました。

壁にぶつかり悩んでいると先生は手紙をくれたり、新聞の切り抜きをくれたりして、いつもそっと励ましてくれました。私にとって先生は教師としても、人生の先輩としても尊敬している偉大な人です。
▼恩師についての記事


続いて2007年9月にTOEICに初挑戦。旺文社の「新TOEICテスト730点攻略本」を半分解いただけで受験。結果560点。

英検2級くらいの英語力がつくと、意思の疎通が全くできないという状況はほとんどなくなります。しかし字幕なしで海外ドラマを観たり、辞書なしで洋書を読めるほどの力はないため、その中途半端さに苦しめられました

語彙力不足が原因なのですが、語彙は一朝一夕に増えることはないので、本当につらかったです。これは英検準1級に合格した後まで長く続きました。

英語オタク 

・この頃はとにかく英語を使う機会が欲しくて、家族・従兄弟・友達など誰彼構わず英語を喋ったりメールに書いたりしました。今思えば相当ウザい奴だったと思います。周りが温かく見守ってくれたことに本当に感謝です。

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高校時代の友達 (2006年~) 

HighSchoolClassroom
2006年ごろからは高校時代の友達(日本人)が英語の勉強を本格的に始め、二人で会うときは英語で話すようになりました
 
さらにこのころから海外のペンフレンドと文通も始めました。一緒に学習する相手がいるというのは楽しいもので、いつも「これ英語では何て表現するんだろう?」と考えて行動するようになりました。

ペンフレンドは多い時はイギリス、中国、韓国、トルコ、スリランカの7〜8人と文通しました。数は減りましたが、現在もやりとりを続けているペンフレンドはいます。

高校の友達とはメールのやり取りを最初のうちは日本語にちょっと英語を加えるという程度。しばらくして半々くらいになり、そのうち英語だけで待ち合わせ時間や場所も決めるようになりました。

お互いにレベルも成長のスピードも同じくらいだったこともあり、どちらがより多くの表現を知っているか、流暢に話せるか競い合いました。彼の存在がなかったら、途中で飽きて英語学習を止めていたかもしれません。大きな存在です。

英語を使う頻度 

文通を始めても実際に英語を話す環境は十分とは言えず、高校のALTと話す以外は市や県主催の国際交流イベントにやってくる外国人と年に2、3回話す程度でした。

実際の英会話の機会が日常的にないというのが、勉強を始めてからずっと悩みでした。どうすれば外国人の友達が出来るのか、どこに行けば出会えるのか常に考えていました。これは日本国内で英語を学習する以上、どうしても越えなければならない壁なのかもしれません

全て思い通りにはいかない

・文通をしていると誕生日プレゼントをもらったり、現地の雑誌をもらったりと楽しい経験が色々ありました。しかし相手があっての事なので、もちろん全て上手く行くとは限りません。

ある日、あるペンフレンドから送られてきたCDを開いたら、コンピューターウイルスに感染。そのことについて話すとペンフレンドは一応謝りはしましたが、いい訳ばかり。

それがきっかけで関係が悪化し、そのペンフレンドとは文通が終わりました。

▼文通に関する記事


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翻訳の勉強 (2010~2012年)

英検2級に合格してから、英語を使った仕事をしたいと思うようになりました。体調のこともあり、自然と在宅でできる仕事=翻訳に目標を定めました

翻訳の専門学校をいくつか調べてみると、翻訳講座を受講するには「英検準1級以上の英語力が望ましい」とあったのでまずはそれに受かってから受講することにしました。
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英検準1級 & TOEIC 

英検準1級以上の語彙は日本語に訳すと同じに見えるものが多く、英英辞典を使い始めました。

同時に英字新聞の記事を読み始めました。

1日1記事読むことを目標に、ネットで気に入った記事を見つけたら印刷し、まずは音読。1回目は1秒考えて意味が分からない単語・表現に全て印をつけ、意味と発音を調べ、書き込みます。2回目は記事の意味が分かるかどうか確認しながら音読。3回目は確認の音読。これを英検準1級に受かるまでの1年間は続けました。

NHKラジオ講座も「ラジオ英会話」に」加え「入門ビジネス講座」も聴くようになり、語彙を増やすことに必死でした。

それでも英検準1級は本当に難しく、1次試験には2回落ちました(2回目は僅か2点足らず)。そして2010年7月に3回目の挑戦で合格。合格を知った時は全身が震えるほど嬉しかったです。

またその年の1月に受験したTOEICは685点でした。準1級に合格まであと一歩なのだから、最低でも700点台は行くだろうと踏んでいたのでショックでした。

とは言え、TOEIC用に勉強したのは前述の問題集1回半とユーキャンの「TOEIC TEST860点クリアの鉄則50」を半分解いただけなので、当然の結果でしょう。
CasioExWordXDGF9800
▲カシオEx-Word XD-GF9800。買ってから3年もしないうちにキーボードが駄目になるほど使い込みました。電子辞書は単語の発音を簡単に確認できるためおすすめです。

英検準1級合格後の2010年8月に翻訳専門学校フェローアカデミーの通信講座を受講しました。最初は「ステップ24」という講座で文法を徹底的に学びました。本格的に文法を勉強したのはこの時が初めてだったので、難しかったです。ただこの時の勉強が今の講師の仕事に非常に役立っています。

その後、2011年3月に定時制高校を11年かけて卒業。無職になり、体調に合わせて翻訳の勉強を続けました。

それから2012年11月までにビジネス文書や契約書の通信講座を修了し、一旦翻訳の勉強はやめました(趣味の翻訳は続けています)。

英語を使う頻度

2009年のころからは週1回、イギリス人のペンフレンドと文字チャットをするようになったり、国際交流イベントで知り合った外国人とSNSでメッセージのやり取りをするようになり、英語に触れる機会が飛躍的に増えました。

ただ、英語を実際に「話す」機会はまだまだ少なく、十分とはいえない状況が続きます。

失敗談 

・イギリス人のペンフレンドとのチャットで、私が英語に関する質問ばかりしていたら「質問は英語以外ないの?!」と呆れられました。友達は英語の先生ではありません。言語学習に関する質問はほどほどに。

・理由は分かりませんが、私は英語で「5」と「8」をよく間違えます。読書など、受身の活動をしているときは問題はありませんが、人の年齢をいうときはそうはいかなくなります。

以前、25歳のアメリカ人女性と話している時、私の友達が会話に参加してきたのでその女性を紹介したことがありました。頭の中には「25歳」の文字が浮かんでいたのに、口から出てきたのは「28歳」という言葉。そしたらその女性に睨まれてしまいました。

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オンライン英会話講師になる (2013年~) 

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実を言うと、英語を教える仕事には全く興味がありませんでした。しかし2011年、友人から英語を教えてほしいと頼まれ、教えてみるとことのほか楽しい!自分の知識を共有することででこんなに人に喜んでもらえるなんて!と感動し、講師になりたいと思いました。

しかも、いつ仕事の依頼が入るのか分からない翻訳の仕事と違い、オンライン英会話講師は自分のペースでスケジュールが組めることが魅力。

そして2013年7月からオンライン英会話講師として働いています。ちなみに講師の仕事を始める前はオンライン英会話も受講したことがありませんでした。しかも当時の英語力は英検準1級、TOEIC755点。私の働くオンライン英会話スクールでTOEIC700点台は私だけでした。

今思えばよくあの英語力でこの仕事始めようと思ったなと感心してしまいます。実際、講師の仕事を始めてから英語力不足に悩まされることが多いです。

そのため、オンライン英会話を受講し始めたり、言語交換パートナーを探したりして、英語力を磨いています。

また2015年1月からはTESOL(英語教授法)の勉強を始め、英語力だけでなく、教える力も鍛えています。

TESOL関連の記事>>こちら

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まとめ

以上、私がオンライン英会話講師になるまでの英語学習法をまとめました。

私は慢性病を抱え、時間と活動を著しく制限されながら英語を学習してきました。周りに同じ病気を持ちながら英語関連の仕事をしている人はおらず、同じ道を歩む先輩・師匠のいない中での学習は孤独との戦いでもありました

この記事が、これから英語に関わる仕事がしたいと思っている人はもちろん、同じ病気を抱えている人の参考に、少しでもなれば幸いです。

英検やTOEICの学習歴については、今後、別記事に詳しく書きたいと思います。

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